2009年5月10日日曜日

遭遇(事件編)

    ***脅迫電話***


 或る日の事、家に一本の電話が…受話器を取ると、『ビー』と言う音がした後に、

「Kさんのお宅ですか?」と、人懐っこそうな男の人の声が…。

ちょっと不自然に思った…何故なら、ここは役宅であるから。

 当時、父親は東本願寺宗務総長と言う役職に就いていた。任期期間は総長や他の役職の者もそれぞれ役宅なるものを当てがわれている。…

 常の電話での第一声は「総長役宅でしょうか?」と言われ、名指しで呼ばれるのは殆ど無く、役職で呼ばれるのだ…

 「君、娘さん?お父さんは居るかなぁ?」
と、
「いえ、宗務所に勤務しておりますが…直通の番号は有ります…」
「じゃあ、教えてもらえる?」
「あ、はい。」

いつもだったら記憶している直通の番号、何故かその時は思い出せず、暫く待たせてしまって…
「済みません」と言おうとしたら、電話は既に切られていた。


 それから数日経った日、その日は撮影所前の喫茶店で知り合ったアッちゃんとその彼氏と3人で…(今思うと、丸っきしお邪魔虫だったな!)プールへ行ってしこたま遊んで…4時頃役宅に帰り着いたのだが、玄関のドアを開けると・・・靴、靴、靴、靴のオンパレード。それも、履き古された物が殆どで、

「何事?」と、息を呑みながら居間へ入った。


 居間の障子ガラスの向こうでは、深刻な顔した(中には強面の…)中年のおじさん達が所狭しと座っていた。

 障子を開けたら、一斉にこちらを振り向き…その中の一人が(父親の部下的存在)事の成り行きを説明してくれた。



・・・東本願寺宗務所に脅迫電話が入ったそうで…いくらかの金額を要求するとの事。
 その金額を用意しなければ東本願寺に『迫撃砲』を打つ!と言った内容だった。

 「何故、役宅に?…」
 「金額の詳細を総長役宅か宗務所にすると、連絡が有ったそうです。」

 そこへ、ベテランらしい刑事さんが、
 「何か不審な電話はありませんでしたか?」
 「…そう言えば、…何日か前に…多分、受話器を取ったら〈ビー〉と言う音が鳴ったので公衆電話からだと思いますが…」と、この間の事を告げた。

 すると、一斉に刑事さん達がメモを取っていて…まるで刑事ドラマでも見ているかのように思えた。
 「年はいくつぐらいだった?」
 「他に気がついた事は?」
など、など、質問攻めに。

 電話を見ると、色んな装置が置いてあり、


 「もしかして、逆探知機ですか?」…(いよいよドラマっぽくなったな!)と、不謹慎にもワクワクしていた。
 「いえ、逆探知機はたくさんの配信を止めなければならないので、余り使用されていません。」

…なんだ、ちょっとガッカリ。(オイッ)

 「これは、録音テープです。…犯人から連絡が有った場合は、ここを押して…」と、機械の説明をされた。
 刑事さん達は暫くの間、犯人からの連絡を待って待機していたが、その日には連絡は来なかった。



 それから1~2日後の昼、一本の電話が…

(これまでも、電話が鳴る度、ビクッ!と驚いて慌てて録音のスイッチを押す…と言った事の作業をしていたのだが)

 「もしもし、」受話器を持ってそう言うと、『カチャッ!』と言う音が…その後から続く言葉は…予め声を変えられてテープに録音された声が…


 急いで録音の操作をし、話を聞いてみた。…テープからの声だったので、聞き取り辛かったが、紛れもなく脅迫電話…そこには要求金額が記されてあった。


 早速、宗務所に連絡を入れ、暫くすると父親と宗務所関係者と刑事数人が来て、眉間にしわを寄せながらテープの声に聞き入っていた。


…結局、受け渡しの場所、日時などと言った内容では無く、要求金額を×××銀行の△△△支店 〇〇〇〇まで、振り込め…との指定だった。

 (またまた不謹慎にも…直接受け渡しをする場合だったら?もしかして犯人が私を受け渡し人に指名していたら・・・・・・などなどの妄想が…)

 宗務所関係の人たちは、これからの対応に、刑事さん達は犯人像の推測に…役宅の居間は緊迫したムードに包まれていた。

 そこで出された結論は、このまま様子を見てみる…ということだった。

 念の為、と言う事で…父親が勤務している間は私一人になるので、
・ 事件が解決するまで、誰かを泊まり込みで待機させる。
と、言う事も、

 その日の夜、チャイムが鳴ったので出てみると、新聞社の記者が取材を申し込みに…
 (おお、ついに新聞沙汰になるのか…と、何かしらワクワク感が、)

 すぐさま宗務所の代表者(この事件に関しての応対者が決められていた)に応対してもらった。

・ 誰かを泊まり込みで待機させる。
 白羽の矢が刺さった人物は、当時宗務所勤務していた親戚の者(親同士が従兄弟・男性)と、短大時代の後輩(学科は違っていたが、顔だけは知っている・女性)ふたりだった。

 翌日早々にふたりは役宅に来てくれて、およそ緊迫とはほど遠い、のん~びりした性格のふたりなので、合宿気分のようだった。

 夕方、テレビを付けると、何とこの事件の事が、この役宅が画面に…んっ!…これは?

…画面は、表札のアップに…「うそっ~!」


…表札…任期の間だけの役職なので、ちゃんとした表札を用意しておらず、ただの白い紙に名字の『K』と書かれたものを画鋲で刺した、これ以上無いと言う安普請でこしらえたものが…アップに。

 見かけなどさほど気にしない私だが、こればかりはちゃんとした表札を掛けとけば良かったと反省した。

 ・・・結局、あれから何の連絡も来ないまま数日が過ぎ去って…もう、この事件の変動は見られないだろうと言う事で、刑事さんが事情聴取をとりに訪れた。

 刑事さんの話だと、「別件で逮捕した男性が、どうもこの事件の犯人では無かろうか?」と言う事だったが・・・
 早速、黒いスーツケースを開け、書類を出していたのだが、その中に刑事の『七つ道具?』なるものが…珍しがっていると、その中の一つの『手錠』を取って見せてくれた。

 ある程度、ことの成行きを思い出しながら話し、最後に刑事さんは、
 「早くこの事件の犯人が逮捕される事を願っています。…ですね?」
と、聞かれ
 「いえ、逮捕とかじゃなく…悪いことしたなぁと、気付いて更生してくれたなら…」
 「逮捕されてから気付けば良いのだから…。」
と、勝手に書いてしまっていた。


 この事件で、父親が一番憤慨していたのは?

 迫撃砲を打つと言う脅迫では無く、
 総長役宅に脅迫電話をしたと言う事では無く、

 「天下の東本願寺を相手に、要求金額が億単位では無く・・・たったの3200万円なんだ?…ケタが違うだろうケタが…非常にけしからん!」

と、言う事だった。

2009年5月8日金曜日

遭遇(事故編Ⅱ)

  ***踏切事故、その時私は…***

  実家の傍には鹿児島本線が通っている。甥っ子たちが幼かった頃、泣いた時や機嫌が悪かった時には、よく汽車を見せに外に出ていったものだ。

 それは、21~2歳の頃、マイカー(当時はスズキ セルボ)で出かけて帰宅する時の事だった。
自宅近くまでさしかかった踏切で、「カン・カン・カン・カン」と鐘が鳴り始めたので車を止めて待っていた。
 すると、後ろから軽トラックが降りようとしていた遮断機をはじいて、踏切り内に入っていった。
一度は通り過ぎた線路の上をバックさせて再び線路の上に…

 (自殺か?)そう思いながら「何やってるのよ!」と、言わんばかりに激しくクラクションを鳴らした。
既に遮断機は下りている…私は車から降りて辺りを見回した。
設置されている警報機は反対側にある。
 もう、汽車が見えている…汽車は、線路内に居る軽トラックに気付き、汽笛?を鳴らしながらブレーキをかけていた。

 だが、到底間に合わない!

…(どうしよう!)

 そこで、私が最初にした行動とは?

・・・人って・・・やっぱり、自分が一番大事なんですね?

 事故に巻き込まれないように自分の車を踏切から遠ざけ、それから再び車を降りて車の後ろに隠れて目を閉じ、耳をふさいでしゃがんでいました。
 (ん?待てよ?…こんな機会って…滅多に有るもんじゃないよね?)
何故か冷静になってこう考え、事故の瞬間を見ないと損をするかのように思えて…立ちあがって、しっかり目に焼き付けました…

「キ~ッィー・ガッシャ~ン!」と、けたたましい音と共に軽トラックは50mほど汽車に引きづられて行き、止まった。
すばやくトラックの方へ駆けつけ、中の人は無事なのか確認しようとしたら、中から20歳位の男の人がフラフラ~っと、頭から血を流しながら出て来て…

 それを見るなり、何か傷をおさえる物は…と、再び自分の車の中を探した。
有ったのは、ティッシュの箱、手ぬぐい、一応ブランド物のスポーツタオルと、3種類。

 そこでまた思ったのが・・・

 (事故現場の第一証人者として警察の人が家に来るかも知れない…はたまた、「その節はお世話になりました。」と、本人が来るかも知れない…その時に手ぬぐいを返されるのは恥ずかしいし、…よ~し、ここは思い切ってスポーツタオルを渡そう! )

 スポーツタオルを持って彼のもとに走り、(その頃にはポツリ、ポツリと野次馬が集まりだして…)頭に当てがってあげて、人の目が届かない死角に誘い座らせた。

 その後とった行動が、「救急車だ!」と、…ところがこっち側に家は…無い!向こう側に行くには止まっている汽車の下をくぐりぬけなければ…意を決して汽車の下をくぐり、一軒の家へ(うちの家のお隣さんになる)。
 救急車をお願いして三度(みたび)彼のところへ歩いて行くのだが…その内に何で自殺を図ったのか…段々腹が立ってきた。
 頬を一発殴ってやろうか?と思ったが、彼の顔を見てまた、頭から血を流していたのを見て辞めた。
 救急車が来るまで、ただじっと傍に付き添っていただけだった。

 救急車が来て、彼は自分で歩いて中に入っていった。

 
・・・結局、あれから何の連絡も無いし(事情徴収や彼本人のお礼)、少しは期待してたのに…

 こうと分かってりゃあ、奮発してブランド物のタオルを渡すんじゃなかったな。
 (タオルは弟のものだったので、後からしこたま叱られた)

 その後、「あの程度の怪我で、救急車を呼ぶ必要は無かったのに…」と言う噂が耳に入った。
…うぅぅ、頭を怪我していたので大事をとっての行動だったのに…


…しかし、後から聞いた話だが、何ヵ月後かに今度は自分の家の納屋に火を付けて、焼身自殺を図ったそうだ。…健在だったのか亡くなったのか定かでは無いが、彼は、自衛官志望で訓練や人間関係に悩んで鬱になっていたと言う事だっだ。
 

2009年4月30日木曜日

遭遇 (事故編Ⅰ)

  *** 猫のチャーリーが ***

 黒と白のブチに一見「ちょび髭か?」と見間違えるような黒いブチ?が鼻のところにあるネコ。
そのちょび髭を強調した、チャーリー・チャップリンの名前を頂いてチャーリーと命名したのだが、れっきとした♀猫である。
 我が家に拾われて、二度ほどお産の経験をして天に召されていったチャーリー。
その一週間後ぐらいの出来事である。

 実家に三重塔(納骨堂)が建てられ、まさに最後の仕上げ…塔のてっぺんに避雷針を付けようとしているところだった。
 その作業を少し離れた田んぼの一角で見物していたのだが…
避雷針を付ける作業は、クレーン車を使っての作業なのだが、その作業の途中で運転していた作業員が、何か叫びながら慌ててクレーン車から飛び出した。

???どうしたんだろう?…そう思っていると、目の前にチャーリーがこちらを見て横切って行った。
なんで?人違い、いや猫違いかな?と思いながらチャーリーの傍に歩み寄る事10m。
その瞬間、『どっす~ん!!』と凄まじい音が…

 ***今まで立っていたところに…伸ばされたクレーンが落ちてきた。

普通、クレーン車の作業をする時には、左右両方にふんばり棒?足?…そう言うものを出して作業をしなければならない。だが、右側に出せば車が通れないからと少しだけしか出さず、左は通常に出しているものだから、クレーンを伸ばすと左右のバランスが取れず、さほど出していない右側に倒れた…と言う訳だ。

…だが、チャーリーが現われてくれなかったら、倒れてくるクレーンに気付かずに、そのまま下敷きになって…今の自分は存在していなかっただろう。
そう、そのチャーリーだが…音と共に姿は消えていた。



* これが、この文章の三重塔である。… ちょうどこの角度から見物していた。*

          チャーリー、ありがとう!!!


          

2009年4月12日日曜日

*不思議体験:短編集 Ⅲ*

 *** 道無き道 ***

 保育園来の友人、平たく言えば幼馴染の弘子…が、結婚して柳川の新居に移り住んだ。
それで、友人恵子と招待を受けたのだが、初めての家なので何処にあるのか分からず、迎えに来て貰うことになった。

 国道208号線から柳川市街に入るのだが、現在工事中で(新しい道を作っている)標識にも行き先の『柳川市街』にはガムテープが張られ、まだ、道が出来ていない事をさしていた。
 それで、旧街道から入って行くのだが、何分にも細い道を右折、左折しながらなので覚えられない。
「この柳川市街の道が出来たら、まっすぐ行けば良いんだけどね。」弘子はそう言いながら、運転していた。

・・・・・それから暫くして、弘子の家に行く用事が出来、ちゃんと辿り着けるかどうか…記憶をたぐりながら車を走らせていた。
 ふと、標識を見ると、『柳川市街』のところに前に貼ってあったガムテープが無かったので、「道が完成したんだな。」と、思って真新しい道を走らせて行った。すると見覚えのある道に出たところに、ガソリンスタンドが有ったので、そこで給油をすべき入って行った。
 ガソリンスタンドのお兄さん、何か不思議な顔をしながら給油してくれていたのだが、それが何故だったのかその時は考えもしなかった。

 その次は、恵子を乗せて…新しい道を通って弘子の家に行った。

 そして…あれは、雨の日だった。同じように新しい道を通っていたのだが、工事中…道が無い!
えっ?何故?パニックになって行ったり来たりしていると、標識のところに戻っていた。
 標識には…ガムテープが張ってある。
 「・・・・・・!」
近くに公衆電話(当時、携帯なんてまだ無かった。)があったので、弘子に電話して
 「今まで弘子の家に行く時は新しい道を通っていたんだけど…道が無くなって、工事中になってるの!」
 「えっ?…そこの道はまだ貫通してないわよ!5~6ヶ月先になるそうだけど…?」
 「なんで?私今までその道を通ってたんだけど…じゃあ、弘子ん家に行くにはどこの道を行ったら良いの?私知らないよ!」

 電話で詳しい道を教えてもらい、何とか彼女の家に辿り着いたのだが・・・

 今まで2度通った道はいったい…私は何処を通っていたんだろうか?
そう言えば、ガソリンスタンドのお兄さん…不思議そうな顔をしていたのはその性なのか。

 随分後から、2度目に通った時に一緒だった恵子に尋ねてみたのだが、彼女は覚えていなかった。

・・・・・・・・私は未来の道?を通っていたのか?

2009年4月10日金曜日

*不思議体験:短編集 Ⅱ*

  *** 座敷わらし ***


 どうも、実家のお寺には座敷わらし?が居るような気がしてならない。

 二階のベッド…スプリングが良く効いたWベッドなのだが、檀家さんが凄く気に入って購入したのは良いけれど、置いてみたら部屋が狭くなって他に何も置けない、と言う事で「貰ってくれ!」と、頼まれた。

 なので私が貰ったのだが…とある日曜日、昼寝をしていると〈トントントントン〉と、階段を上って来る何人かの軽い足音が聞こえてきた。


 「お客さんとこの子ども達かな?」と思いながらも、その日は疲れていて、どうしても目を開けられないほど眠くて、そのまま眠ろうとしたのだが、障子を開けて子ども達(2~3人ぐらいかな?)がベッドに乗ってきて、トランポリンみたいにドスン、ドスン跳ねだした。


…跳ねる度に震動はくるわ、ドスンドスンうるさいわで「うるさ~い!静かにしろっ!」と、非常識さに切れて怒鳴った。・・・そしたら、「シ~ン!」となった。
 やれやれ、これで安心して眠れると思い、眠りに入った。

 夕方、起きて母に「お昼過ぎに来たお客さんって誰だった?」と、聞くと

「お昼過ぎにお客さんなんて来てないわよ。」
「えっ、2~3人ぐらいの子ども達を連れて来た人なんだけど…」
「いいえ、誰も来てないわよ。」
「・・・・・・・・」

???そう言えば静かになった後、ベットから降りる気配も、階段を降りて行く音も聞いてなかった。





  *** 座敷わらし② ***


 息子達の夏休み、実家に帰った時の事だった。いつもの通り、私たちの部屋は奥の座敷を使わせて貰っているのだが…あれは、二日目の朝だったかなっ。うつぶせで寝ていたのだが、背中に子どもが乗って来て、その重みが段々増してきた。

 いったい誰がこんな事をしているのか、首を横に向け、寝ている子ども達を確認してみた。
・・・・・・・三人ともいる。息子達みんな、横で眠っている。

 じゃあ、上に乗っている子は誰?次第に苦しくなって…うる覚えのお経を唱えていたら暫くするとスーっと軽くなった。



 *** 予知能力?***


 診療所で働いている時だった。まだ新しく始めたばかりの診療所なので、最初の内は患者さんもちらほら…私は受付のシフトで、カルテの確認をしていた。

 隣では診療助手と、会計の3人が話に花を咲かせていた。

嵯峨野高校がベスト8に・・・」そんな言葉が聞こえてきた。

「へぇ~、嵯峨野高校が?京都勢がベスト8に残るなんて珍しいね!」・・・そう言うと、

「えっ!何の事?…高校野球だったら始まったばかりで、まだベスト16も、8も分からないわよ。」

「えっ!…そうだよね。」

何であんな言葉が聞こえたんだろう???・・・あまり気にせず、カルテの確認を続けた。

 ・・・しかし、そのシーズンの高校野球…京都嵯峨野高校はベスト8に残っていた。

2009年4月9日木曜日

*不思議体験:短編集*

  ***あれっ?おじさんって***



 あれは、23~4歳の頃だったかなぁ?

 昼前だったから…昼食の材料を買いに行く為に、自転車でお店に向かった。家からさほど遠くない?と言うか、ご近所の家に差し掛かると、畑に腰をおろしてトマトの出来具合を見ていたおじさんがいた。

いつもの光景だった。…おじさんに、「こんにちは~!」と、元気いっぱいの声で挨拶をした。

 おじさんも、声こそ聞こえなかったが、かぶっていた麦わら帽子を脱いで頭を下げてくれた。



 何となく気持ちのいい日だった。そのまま行き過ぎてふと考えてみると…
あれっ?あのおじさんって…確か半年前に亡くなられたはず…。

 慌てて振り返ってみると、もうおじさんの姿は無かった。





・・・・・・ここで一応言っておきます。『私は霊感というものは持ち合わせて居りません。』…なので、怖い思いや恐ろしい体験は一切した事がありません。

 ただ…「あれっ?」とか、「何だったのだろう?」とか、後で考えると「不思議だなぁ~」と言った具合の体験は多々有ります。…本人が〈ボ~ぉっ〉としているので、恐怖に感じていないのかも知れませんが…




 *** 黒い影 ***

 あれは、正月…元旦那の実家に一家で泊まりに行った夜中の事だった。
一家5人が一部屋でずら~と並んで寝ていたのだが、ふと横を向くと…長男が寝ている枕元でジーっと長男の顔を覗いている女性の黒い影があった。

 その影の顔が少しずつ長男から離れて行くと、黒猫?(影だから黒いのだが…)に変身して押し入れの襖に消えて行った。

 

*** 異次元? ***

 中学生の頃だったかな?階段を上がってすぐの部屋が私の部屋だったのだが…その部屋の押し入れの天井の一枚は取り外し出来るようになっていた。ある日、意を決して懐中電灯を持って天井裏の探検を試みた。

 ミシッ、ミシッといわせながら慎重に歩いて行くと、畳半畳くらいの大きさで光が射しているところが有った。そこから下を覗くと、階段が見えた。「ここは階段の上だったのか。」と、納得して自分の部屋に戻った。

 暫くして下に用事が有ったので、降りようとしてふと上を見上げると…畳半畳の大きさの穴?は何処にも無い!天井裏からはっきりと階段が見えていたのに、半畳もある大きさなので分からないはずはないのだが…やはり天井は塞がっている

 また日を改めて、天井裏に上った。やはり、半畳ぐらいの大きさの明かりが射していて、階段がはっきり見えている。…その時、姉が私を呼ぶ声がした。「は~い!」と返事をして下に降りて見上げてみるが、穴は無い。ふと、姉を見ると…姉は不思議な顔をしていた。

「ねえ、さっきどこから返事したの?」

「えっ!二階からだけど?」

「うそ、あんたの声…耳元で聞こえた。」

「・・・・・・」

もし、天井裏の穴からロープを垂らして階段に降りていたなら…そこは異次元の世界だったかも知れない。

2009年4月8日水曜日

・・・彼女の一生とは?

 ***捜索編(完結編)***


 翌日から捜索を開始した…と言っても、仕事の合間になるのだが。

彼女の実家の川崎より、直ぐ下の妹と末の弟が京都に来て、一緒に捜索をする事となった。


 嵯峨野の家で彼女の兄弟達と初めて会ったのだが、そこの家では親戚たちの来訪で泊める部屋が無いらしく、六条の役宅の方で預かる事にした。

 その日の夜、彼女たちを二階に案内して布団の用意をしていると、


「この下に姉は佇んでいたんですね?」…と、妹は開けられていた窓の外枠の手すりにもたれて、ポツリとそう言った。

「そう…」布団をカバーに入れながら答えた。 


 翌朝、捜索するにも、車を持ち合わせていなかったのでレンタカーを借りる事にした。
で、最初に何処を探せば?


…前に「東本願寺に迫撃砲を打つ!」と言う、脅迫電話を受け取った事が有った。…その折にお世話になった刑事さんに会って、どう言うところを探せば良いのか教えを仰ごうと思って七条署へ行った。


 その折の刑事さんはいたのだが、「自分で行方を眩ませたのだったら、見つかる可能性は低いだろう。」と、初っ端から落胆するお言葉が…ただ、「町中だったら不審者の通報があるかも知れないが、誰も居ないところを探して、そこに居る可能性が多分にある。」との助言は有った。


 そこで、山を探そうと将軍塚に行った。…闇雲に探しても見つかる可能性は低い事は知っていたが、他にどうしようもなくただただ、探し回った。


 途中、何軒かの駐在所で、写真入りのビラを(ご主人より数枚ほど貰っていた)見せ、説明して貼って貰う様にお願いした。


 その日の夕方、ご主人から連絡が有り「桂の喫茶店でそれらしい女性が働いていた。」との通報が有り、今から向かうのであなた達も一緒に来てくれ!…との事だった。


 待ち合わせて、一緒に桂まで行ったのだが…その喫茶店にはそれらしい人物もいなかったし、お店の人に聞いてみたが、「知らない!」と言う。


…ガセだった。ご主人や彼女の兄弟の落胆ぶりを見てると、面白半分で勝手な事を通報している輩の心情はどうなっているのか、憤りを感じた。


 役宅に着いて、一息ついてから彼女の思い出話しをはじめた。

「お姉ちゃんはもっと幸せになっていい人なのに…」妹さんがこう言うと、
「姉は自分の事よりも、僕らの事ばかり気にしていて…結婚してからもそうだった。」と、弟さん。
「幸せになるのが怖かったのか、何処かセーブしていたところが有ったよね…」
「僕は、姉から育ててもらったんだ…そう言っても過言じゃない。」
「結婚したんだから…お姉ちゃんには幸せになって欲しかった。」


 …彼女は、昔の自分の心が、苛められていた時に『あなた達なんか不幸になっちゃえばいいんだ』と、思った心が自分で自分を許せない…だから『自分は幸せになんかなっちゃいけないんだ』と、思い込んでいるようなところがある。


 翌日、“ひと気を避けて留まる場所”のキーワードから、お宮の祠やお寺の床下などを探し回った。
がしかし、やはり当てずっぽうで探し出せる訳はなく、その日も時間が過ぎて行っただけだった。

…結局何の成果もなく、妹さん達の滞在期間の4日間が過ぎ、川崎に帰る事となった。

 軽装で足も負傷して、いったい何処に居るのか、生死も分からない…この気持ちの状態を引きずって帰さなければならないジレンマが、どうしようもなくもどかしかった。

   あれから20年余り…未だに彼女の行方は不明のままだ。

…そう言えば、彼女の愛読書の『青い鳥』…預かったままだった。

     ・・・・・・・・・・・・もう、返せないよ・・・・・・・・・・・・・