2009年4月30日木曜日

遭遇 (事故編Ⅰ)

  *** 猫のチャーリーが ***

 黒と白のブチに一見「ちょび髭か?」と見間違えるような黒いブチ?が鼻のところにあるネコ。
そのちょび髭を強調した、チャーリー・チャップリンの名前を頂いてチャーリーと命名したのだが、れっきとした♀猫である。
 我が家に拾われて、二度ほどお産の経験をして天に召されていったチャーリー。
その一週間後ぐらいの出来事である。

 実家に三重塔(納骨堂)が建てられ、まさに最後の仕上げ…塔のてっぺんに避雷針を付けようとしているところだった。
 その作業を少し離れた田んぼの一角で見物していたのだが…
避雷針を付ける作業は、クレーン車を使っての作業なのだが、その作業の途中で運転していた作業員が、何か叫びながら慌ててクレーン車から飛び出した。

???どうしたんだろう?…そう思っていると、目の前にチャーリーがこちらを見て横切って行った。
なんで?人違い、いや猫違いかな?と思いながらチャーリーの傍に歩み寄る事10m。
その瞬間、『どっす~ん!!』と凄まじい音が…

 ***今まで立っていたところに…伸ばされたクレーンが落ちてきた。

普通、クレーン車の作業をする時には、左右両方にふんばり棒?足?…そう言うものを出して作業をしなければならない。だが、右側に出せば車が通れないからと少しだけしか出さず、左は通常に出しているものだから、クレーンを伸ばすと左右のバランスが取れず、さほど出していない右側に倒れた…と言う訳だ。

…だが、チャーリーが現われてくれなかったら、倒れてくるクレーンに気付かずに、そのまま下敷きになって…今の自分は存在していなかっただろう。
そう、そのチャーリーだが…音と共に姿は消えていた。



* これが、この文章の三重塔である。… ちょうどこの角度から見物していた。*

          チャーリー、ありがとう!!!


          

2009年4月12日日曜日

*不思議体験:短編集 Ⅲ*

 *** 道無き道 ***

 保育園来の友人、平たく言えば幼馴染の弘子…が、結婚して柳川の新居に移り住んだ。
それで、友人恵子と招待を受けたのだが、初めての家なので何処にあるのか分からず、迎えに来て貰うことになった。

 国道208号線から柳川市街に入るのだが、現在工事中で(新しい道を作っている)標識にも行き先の『柳川市街』にはガムテープが張られ、まだ、道が出来ていない事をさしていた。
 それで、旧街道から入って行くのだが、何分にも細い道を右折、左折しながらなので覚えられない。
「この柳川市街の道が出来たら、まっすぐ行けば良いんだけどね。」弘子はそう言いながら、運転していた。

・・・・・それから暫くして、弘子の家に行く用事が出来、ちゃんと辿り着けるかどうか…記憶をたぐりながら車を走らせていた。
 ふと、標識を見ると、『柳川市街』のところに前に貼ってあったガムテープが無かったので、「道が完成したんだな。」と、思って真新しい道を走らせて行った。すると見覚えのある道に出たところに、ガソリンスタンドが有ったので、そこで給油をすべき入って行った。
 ガソリンスタンドのお兄さん、何か不思議な顔をしながら給油してくれていたのだが、それが何故だったのかその時は考えもしなかった。

 その次は、恵子を乗せて…新しい道を通って弘子の家に行った。

 そして…あれは、雨の日だった。同じように新しい道を通っていたのだが、工事中…道が無い!
えっ?何故?パニックになって行ったり来たりしていると、標識のところに戻っていた。
 標識には…ガムテープが張ってある。
 「・・・・・・!」
近くに公衆電話(当時、携帯なんてまだ無かった。)があったので、弘子に電話して
 「今まで弘子の家に行く時は新しい道を通っていたんだけど…道が無くなって、工事中になってるの!」
 「えっ?…そこの道はまだ貫通してないわよ!5~6ヶ月先になるそうだけど…?」
 「なんで?私今までその道を通ってたんだけど…じゃあ、弘子ん家に行くにはどこの道を行ったら良いの?私知らないよ!」

 電話で詳しい道を教えてもらい、何とか彼女の家に辿り着いたのだが・・・

 今まで2度通った道はいったい…私は何処を通っていたんだろうか?
そう言えば、ガソリンスタンドのお兄さん…不思議そうな顔をしていたのはその性なのか。

 随分後から、2度目に通った時に一緒だった恵子に尋ねてみたのだが、彼女は覚えていなかった。

・・・・・・・・私は未来の道?を通っていたのか?

2009年4月10日金曜日

*不思議体験:短編集 Ⅱ*

  *** 座敷わらし ***


 どうも、実家のお寺には座敷わらし?が居るような気がしてならない。

 二階のベッド…スプリングが良く効いたWベッドなのだが、檀家さんが凄く気に入って購入したのは良いけれど、置いてみたら部屋が狭くなって他に何も置けない、と言う事で「貰ってくれ!」と、頼まれた。

 なので私が貰ったのだが…とある日曜日、昼寝をしていると〈トントントントン〉と、階段を上って来る何人かの軽い足音が聞こえてきた。


 「お客さんとこの子ども達かな?」と思いながらも、その日は疲れていて、どうしても目を開けられないほど眠くて、そのまま眠ろうとしたのだが、障子を開けて子ども達(2~3人ぐらいかな?)がベッドに乗ってきて、トランポリンみたいにドスン、ドスン跳ねだした。


…跳ねる度に震動はくるわ、ドスンドスンうるさいわで「うるさ~い!静かにしろっ!」と、非常識さに切れて怒鳴った。・・・そしたら、「シ~ン!」となった。
 やれやれ、これで安心して眠れると思い、眠りに入った。

 夕方、起きて母に「お昼過ぎに来たお客さんって誰だった?」と、聞くと

「お昼過ぎにお客さんなんて来てないわよ。」
「えっ、2~3人ぐらいの子ども達を連れて来た人なんだけど…」
「いいえ、誰も来てないわよ。」
「・・・・・・・・」

???そう言えば静かになった後、ベットから降りる気配も、階段を降りて行く音も聞いてなかった。





  *** 座敷わらし② ***


 息子達の夏休み、実家に帰った時の事だった。いつもの通り、私たちの部屋は奥の座敷を使わせて貰っているのだが…あれは、二日目の朝だったかなっ。うつぶせで寝ていたのだが、背中に子どもが乗って来て、その重みが段々増してきた。

 いったい誰がこんな事をしているのか、首を横に向け、寝ている子ども達を確認してみた。
・・・・・・・三人ともいる。息子達みんな、横で眠っている。

 じゃあ、上に乗っている子は誰?次第に苦しくなって…うる覚えのお経を唱えていたら暫くするとスーっと軽くなった。



 *** 予知能力?***


 診療所で働いている時だった。まだ新しく始めたばかりの診療所なので、最初の内は患者さんもちらほら…私は受付のシフトで、カルテの確認をしていた。

 隣では診療助手と、会計の3人が話に花を咲かせていた。

嵯峨野高校がベスト8に・・・」そんな言葉が聞こえてきた。

「へぇ~、嵯峨野高校が?京都勢がベスト8に残るなんて珍しいね!」・・・そう言うと、

「えっ!何の事?…高校野球だったら始まったばかりで、まだベスト16も、8も分からないわよ。」

「えっ!…そうだよね。」

何であんな言葉が聞こえたんだろう???・・・あまり気にせず、カルテの確認を続けた。

 ・・・しかし、そのシーズンの高校野球…京都嵯峨野高校はベスト8に残っていた。

2009年4月9日木曜日

*不思議体験:短編集*

  ***あれっ?おじさんって***



 あれは、23~4歳の頃だったかなぁ?

 昼前だったから…昼食の材料を買いに行く為に、自転車でお店に向かった。家からさほど遠くない?と言うか、ご近所の家に差し掛かると、畑に腰をおろしてトマトの出来具合を見ていたおじさんがいた。

いつもの光景だった。…おじさんに、「こんにちは~!」と、元気いっぱいの声で挨拶をした。

 おじさんも、声こそ聞こえなかったが、かぶっていた麦わら帽子を脱いで頭を下げてくれた。



 何となく気持ちのいい日だった。そのまま行き過ぎてふと考えてみると…
あれっ?あのおじさんって…確か半年前に亡くなられたはず…。

 慌てて振り返ってみると、もうおじさんの姿は無かった。





・・・・・・ここで一応言っておきます。『私は霊感というものは持ち合わせて居りません。』…なので、怖い思いや恐ろしい体験は一切した事がありません。

 ただ…「あれっ?」とか、「何だったのだろう?」とか、後で考えると「不思議だなぁ~」と言った具合の体験は多々有ります。…本人が〈ボ~ぉっ〉としているので、恐怖に感じていないのかも知れませんが…




 *** 黒い影 ***

 あれは、正月…元旦那の実家に一家で泊まりに行った夜中の事だった。
一家5人が一部屋でずら~と並んで寝ていたのだが、ふと横を向くと…長男が寝ている枕元でジーっと長男の顔を覗いている女性の黒い影があった。

 その影の顔が少しずつ長男から離れて行くと、黒猫?(影だから黒いのだが…)に変身して押し入れの襖に消えて行った。

 

*** 異次元? ***

 中学生の頃だったかな?階段を上がってすぐの部屋が私の部屋だったのだが…その部屋の押し入れの天井の一枚は取り外し出来るようになっていた。ある日、意を決して懐中電灯を持って天井裏の探検を試みた。

 ミシッ、ミシッといわせながら慎重に歩いて行くと、畳半畳くらいの大きさで光が射しているところが有った。そこから下を覗くと、階段が見えた。「ここは階段の上だったのか。」と、納得して自分の部屋に戻った。

 暫くして下に用事が有ったので、降りようとしてふと上を見上げると…畳半畳の大きさの穴?は何処にも無い!天井裏からはっきりと階段が見えていたのに、半畳もある大きさなので分からないはずはないのだが…やはり天井は塞がっている

 また日を改めて、天井裏に上った。やはり、半畳ぐらいの大きさの明かりが射していて、階段がはっきり見えている。…その時、姉が私を呼ぶ声がした。「は~い!」と返事をして下に降りて見上げてみるが、穴は無い。ふと、姉を見ると…姉は不思議な顔をしていた。

「ねえ、さっきどこから返事したの?」

「えっ!二階からだけど?」

「うそ、あんたの声…耳元で聞こえた。」

「・・・・・・」

もし、天井裏の穴からロープを垂らして階段に降りていたなら…そこは異次元の世界だったかも知れない。

2009年4月8日水曜日

・・・彼女の一生とは?

 ***捜索編(完結編)***


 翌日から捜索を開始した…と言っても、仕事の合間になるのだが。

彼女の実家の川崎より、直ぐ下の妹と末の弟が京都に来て、一緒に捜索をする事となった。


 嵯峨野の家で彼女の兄弟達と初めて会ったのだが、そこの家では親戚たちの来訪で泊める部屋が無いらしく、六条の役宅の方で預かる事にした。

 その日の夜、彼女たちを二階に案内して布団の用意をしていると、


「この下に姉は佇んでいたんですね?」…と、妹は開けられていた窓の外枠の手すりにもたれて、ポツリとそう言った。

「そう…」布団をカバーに入れながら答えた。 


 翌朝、捜索するにも、車を持ち合わせていなかったのでレンタカーを借りる事にした。
で、最初に何処を探せば?


…前に「東本願寺に迫撃砲を打つ!」と言う、脅迫電話を受け取った事が有った。…その折にお世話になった刑事さんに会って、どう言うところを探せば良いのか教えを仰ごうと思って七条署へ行った。


 その折の刑事さんはいたのだが、「自分で行方を眩ませたのだったら、見つかる可能性は低いだろう。」と、初っ端から落胆するお言葉が…ただ、「町中だったら不審者の通報があるかも知れないが、誰も居ないところを探して、そこに居る可能性が多分にある。」との助言は有った。


 そこで、山を探そうと将軍塚に行った。…闇雲に探しても見つかる可能性は低い事は知っていたが、他にどうしようもなくただただ、探し回った。


 途中、何軒かの駐在所で、写真入りのビラを(ご主人より数枚ほど貰っていた)見せ、説明して貼って貰う様にお願いした。


 その日の夕方、ご主人から連絡が有り「桂の喫茶店でそれらしい女性が働いていた。」との通報が有り、今から向かうのであなた達も一緒に来てくれ!…との事だった。


 待ち合わせて、一緒に桂まで行ったのだが…その喫茶店にはそれらしい人物もいなかったし、お店の人に聞いてみたが、「知らない!」と言う。


…ガセだった。ご主人や彼女の兄弟の落胆ぶりを見てると、面白半分で勝手な事を通報している輩の心情はどうなっているのか、憤りを感じた。


 役宅に着いて、一息ついてから彼女の思い出話しをはじめた。

「お姉ちゃんはもっと幸せになっていい人なのに…」妹さんがこう言うと、
「姉は自分の事よりも、僕らの事ばかり気にしていて…結婚してからもそうだった。」と、弟さん。
「幸せになるのが怖かったのか、何処かセーブしていたところが有ったよね…」
「僕は、姉から育ててもらったんだ…そう言っても過言じゃない。」
「結婚したんだから…お姉ちゃんには幸せになって欲しかった。」


 …彼女は、昔の自分の心が、苛められていた時に『あなた達なんか不幸になっちゃえばいいんだ』と、思った心が自分で自分を許せない…だから『自分は幸せになんかなっちゃいけないんだ』と、思い込んでいるようなところがある。


 翌日、“ひと気を避けて留まる場所”のキーワードから、お宮の祠やお寺の床下などを探し回った。
がしかし、やはり当てずっぽうで探し出せる訳はなく、その日も時間が過ぎて行っただけだった。

…結局何の成果もなく、妹さん達の滞在期間の4日間が過ぎ、川崎に帰る事となった。

 軽装で足も負傷して、いったい何処に居るのか、生死も分からない…この気持ちの状態を引きずって帰さなければならないジレンマが、どうしようもなくもどかしかった。

   あれから20年余り…未だに彼女の行方は不明のままだ。

…そう言えば、彼女の愛読書の『青い鳥』…預かったままだった。

     ・・・・・・・・・・・・もう、返せないよ・・・・・・・・・・・・・

2009年4月7日火曜日

・・・彼女の一生とは?

 *** 行方不明?***

  彼女が病院を退院して1か月程が経った或る日の夕方…九州の自宅に一本の電話が入った。
彼女の旦那さんからだった。

…当時私は、本山の宗務総長になった父親の、身の回りの世話を定期的にしながら、診療所に通い、また実家や本山の行事に合わせて、母親と交代し、九州へ帰ると言う複雑な業務?を繰り返した生活をしていた。…言うなれば、九州と京都を行ったり来たりしていた。

 その電話には「妻が昨日から行方不明で、今彼女のアドレス帳を見て片っ端から連絡をしています。…妻を知りませんか?」
「えっ!行方不明?」

…彼女が退院して間もなく、彼女から電話を貰った。
 その時の内容が、
「また、自分を傷つけちゃった。」…あっけらかんとした口調で言う。
「へっ?なに?どうしたの?」
「何か、生きているのが罪なんかじゃないのかなって、思えて来て…気が付いたらハサミで足を刺していた。
「何?それっ!」
「今ね、主人の実家なの。ちょっと病気(鬱病)が悪化してしまって、私から目を離せないから義母がいつも傍にいてくれてる。今は調子良いんだけどね!」
「良いい?もっと自分を大切にして!…じゃないと、友達辞めるからねっ!」

…5年前に二つ違いの兄を自殺で亡くした。兄も優しい気持ちの持ち主だった…そして自分を追い込んで…でも、決して悲観して命を絶ったのでは無い!私はそう思っている。
「中々眠れない!」と、こぼした事が有ったので、ただ、ぐっすり眠りたかったのだ、と…
 なので、後に残された者の悲しみ、それを通り越した痛み、何もしてあげられなかったと言う後悔など…色んな物が入り混じって暫くの間、陰に籠っていた。
…普段の何もかもが憎く感じられた事もあった。
 だから私には、彼女の行動に本気で憤りを感じていた。

「本気で言ってるんだからねっ!もう、こんな事するのは止めてよっ!本当に絶交だからね!」
「うん、わかった!友達辞められるの嫌だからねっ!」
その場はこう言って受話器を置いたのだが…

 九州へ帰る前に、気になったので彼女に電話したのだが、義理の母親が受話器に出られ
「今、電話に出られる状態じゃないので…」と、言われ「では、明日から3日間九州へ帰っている事を伝えて欲しい。」旨を伝えた。

 それから2日後のことだった。
「私が九州に帰っている事は彼女は知っていますか?」
多分、母親が近くに居るのでしょう、何か聞いている様子で…受話器に母親が出られ、「済みません、ただの友人かと思って何も告げていなっかったんです。それに、その時は言える状態じゃなかったし…」との事だった。

 予定を一日早めて京都のアパート(太秦)では無く、役宅(6条高倉)へ行った。…そこには下宿している従兄弟がいたので、変わった事無かったか聞いてみた。
 「そう言えば、二日前だったかなぁ、門の前にず~と、佇んでいる女の人がいた声を掛けてみたんだけど、ただボ~ぉとして何も答えなかった。」
 すぐさまあたりを探してみたのだが…二日も前の事で居る筈もなかった。

 その事をご主人に連絡して、アパートで会う事にした。
…アパートに着くと、暫くしてご主人とその弟さんが来られ、詳しい話を聞いてみた。

 その日も義理の母が彼女の様子を見ていたらしいのだが、お客さんが来たのでその相手をしていたほんの数分の間に居なくなったとの事。普通のトレーナーにジーパンとサンダルと言った軽装だった。

「妻の事はお聞きになったとの事で、後で妻が言ったました。」
「はい、伺いました。」
「そうですか…妻は自分の事は人に話さないのですが、よっぽどあなたの事を信用していたんですね。」
「…、前に亡くなったお母さんの事で気落ちされていたんですが、その時に知り合いのお寺の説法を一緒に聞きに行った事が有るんですよ。」…他にも色々とあったのだが、長くなるので省略します。

「妻は、いなくなった翌日にあなたが居るかも知れないと、役宅に行ってたんですね。」
「はい、従兄弟が彼女らしい女性がいたと言ってましたから…」
…彼女は嵯峨野にあるご主人の実家から、途中何処かで一泊して、役宅がある六条高倉までサンダル履きのまま歩いてきたんだ。それも、はさみで刺した足を引きずって…

「そうですか、その日、妻を見たと言う連絡があって長岡京まで行ってたんですが…デマだったんですね。直ぐにあなたの役宅へ行けばよかった…」
…デマに振り回された自分を振りかえって、悔しそうにそうつぶやいていた。

 それから幾度となく彼女の捜索に関して、打ち合わせをする為にご主人の実家を訪れた。

2009年4月3日金曜日

・・・彼女の一生とは?

   *** ミステリー編 ***

 「荒川さ~ん!荒川さ~ん!」…診療所の受付で、清算待ちの患者さんの名前を呼んでいた。
(んっ?新井さんだった…)カルテには、『新井』と書いてある。で、もう一度〈新井さ~ん!〉と呼んでみるが口から出てくる言葉は「荒川さ~ん!だった。それも普段呼んでいる声の大きさでは無く、大きな声で???えっ!何故?
夜7時、受付も終了し、少し落ち着いた頃だった。結局その日は同じミスを二回も繰り返していた。

 『荒川さん』…彼女の名前。
 あれから、診療所の都合でひとり辞めなければならない事態になって、希望者を聞かれていたのだが、誰も名乗らない。…当時私は、27歳にしてやっと独り暮らしを許され、生活出来る収入を得ないといけなかった。なので、名乗りは上げられず、暫く無言の時が続いた。
…「じゃあ、私良いですよ!結婚しているし、まだ二人だけのくらしだから。」と、犠牲的精神で名乗りを上げたのが彼女だった。

 彼女は今、子宮外妊娠の為、堕胎手術を受け入院していた。明日のシフトは入っていないので彼女のお見舞いに行くことにした。

 妊娠を喜んでいただけに、それも初めての子供なだけに…ショックは相当なものだっただろう。気落ちして当たり前だ…どんな顔して会えば良いのか、何を言ってあげれば良いのか、考えあぐねながらドアをノックした。
 入ってみると意外ににこやかな顔で迎え入れてくれ、私の見舞いに喜んでくれた。
彼女の喋り方に違和感を感じながら、色んな他愛もないおしゃべりをし、和やかな時間を過ごしていた。

 「そうそう、昨日ね何でか知らないけど、受付で患者さんを呼ぶ時に〈荒川さ~ん!〉って…ホントは違う名前なのに、荒川さんの名前を呼んでいたのよ…頭ではちゃんと分かっているんだけどね?何でだか口に出すと〈荒川さ~ん!〉になってしまうんよ。可笑しいでしょう?」
 「えっ!…それって何時頃?」
 彼女の顔が急にこわばった…なんでだろう?と思いながら
 「7時ぐらいだったかな?」
 「・・・・・・・・・・・・・」
 「んっ?どうしたの?」
 「それって…その時間…私、あなたの声聞いたの…」
 「えっ?」…意味が分からなかったが、彼女は真面目な顔で話し続けた。
 「私、夢を見たの…母を失って、子どもを失って…私がこんな境遇に居るのは、昔、私をいじめていた人たちに心の中で〈死んじゃえば良いのよっ!〉って思っていたからなんだってね。
 …そしたら意識の中でどこかに飛ばされて…気が付いたら、周りはコンピューターだらけの狭い部屋だった。
 …近づいて行くと、赤いボタンがあって、〈何だろう?〉と思いながら押してしまって…そしたら、目の前に大きなスクリーンが表れて映像が映ったのよ。…それは、ミサイルだった。
たくさんのミサイルが世界中に飛んで行って爆破し、たくさんの人が死んでいく映像だった。
 …私がこのボタンを押した性で、たくさんの人が死んだんだ…私の性だ!
 …私は生きていちゃいけないんだって、そう思って…目が覚めたら無意識の内に舌を噛んでいた…

 「えっ?」…ずっと前から鬱気味だったのは彼女の口から聞いていた。彼女は何もかも自分で背負ってしまう、人の性に出来ない優しい性格だった。
 優しいが故に背負い込み過ぎて、自分に負担をかけて壊れていく…
 「もっと人に背負わせても良いんだよ?逃げ道を作んないとしんどいよ。」
と、何度か言った事が有る。
 「そうだね!」と、ニコッ!と笑って言っていたのだが…
 「舌を噛んだ?」
 …そう言えば、彼女のかつれつに違和感を感じてはいたが、その性だったのか…。

 「そしたらまたどこかに飛ばされて…宇宙を飛んでた。
綺麗な宇宙だった。…ふと見れば、お母さんが私の子どもを抱っこして、私を見てたの。悲しんでるような、睨んでいるような…〈何か帰りなさい!〉って言っているようで…そしたら下の方で〈荒川さ~ん!〉って呼ぶ声がして…。そしたら引き寄せられていって…気が付いたらべットの中だった。
それが、7時頃だったって…あの声ってあなたの声だったのね?

 「・・・・・・・・・・」
全身に鳥肌が立ったのを覚えている。

2009年4月2日木曜日

・・・彼女の一生とは?

*** 生い立ち編 ***

 彼女と初めて会ったのは27歳の頃、京都の常盤で新設する診療所だった。
 褐色な肌にそばかすがちらほらと、だが一番印象に残っていたのは、『いつもニコニコ満面の笑顔』だ。 彼女はこの診療所で一緒に働く同僚だった。
 年は私より一つ上…他の同僚たちは3~4歳下だったので、自然と話す機会が多くなっていた。

 1年ぐらい経った或る日、彼女の亡くなった母親の事で相談にのっていた事もあって、家に招いてお好み焼きをご馳走してもらった。

 そこで、自分の生い立ちを話してくれたのだが…話を聞いていくうちに、「えっ!それって、実話なのか?一昔前の小説かドラマの中の話じゃないのか?」と、突っ込みを入れたくなるような悲惨な話だった。

…遠距離ドライバー(平たく言えばトラックの運ちゃん)の父親と、入退院を繰り返している母親の5人兄弟の頭として生まれたのだが、トラックの運ちゃん=酒飲み+遠距離なので数日間家を空けている。
 母親は、今で言う『心療内科』…(昔はそんなシャレた名前で呼ばず、人が想像する内容もまったく違っていた)で、入退院を繰り返していたので、周りの子供たちには石を投げられたりして(兄弟全員)いじめられ、大人たちには陰口を言われ、疎外されていたと言う。

…彼女は私にはっきりと言った。「母はキ〇ガ〇なんかじゃなかった!言っている事にちゃんと筋が通ってたから…」と、

 父親は留守が多く、母親は入院…なので、小学校の時から家事は全部自分がやっていたとの事。
 6年になった時には5番目の弟が生れ、しかしながらこんな環境なので、小学校の休み時間に学校を抜け出して、(すぐそばが自宅)おむつを替えたり、ミルクを飲ませたりしていたそうだ。…後に弟本人も言っていたが、「僕は姉に育ててもらったと言っても過言じゃない。」と、

 まだ幼い小学生が家事をするのだから、完全には出来ないのは当たり前だ。
洋服も着たきり雀に似た状態で、風呂も頻繁には入ってなかったので、見た目の汚さとにおいで疎外の仕方も酷くなったと言う。
…ある日の放課後、帰路を急いでいた彼女にクラスの男子数人が、「家に帰らせない!」と言ってクラス中の机を彼女めがけて動かして、机でバリヤーを作ってそのまま帰って行ってしまった。
 彼女の居る教室は二階、無理に机を動かせば崩れてしまう。…唯一、窓は開くのでそこから逃げられるのだが下は階段…しかし、そこしか逃げる手立ては無いので、思いきって階段へ飛び降りて家に帰ったそうだ。

 他にも父親在中の時(お酒を飲んでいる)に、夜お米をといでいると、「うるさ~い!」と言って取り上げ、彼女めがけてぶち撒いた。

 こんな家庭環境だから、当然お役所関係が介入して来て兄弟バラバラに…

 彼女は私に言った。
 「一番辛かったのは、兄弟たちが施設に連れて行かれる時だった…私がちゃんと育てるって何度も言ったんだけど…弟や妹たちが車に乗せられて行った時、絶対一緒に暮らせるようにするからね!って、泣きながら叫び車を追いかけた…」
「そして、自分に兄弟を引きとめられる力が無かった事も悔しかった…」と、あとで付け加えていた。

 話を聞いているうちに自然と涙がこぼれていた。それを見て彼女は「私の為に泣いてくれて有難う。」と言ってニコッ!と、こわばった笑みを見せてくれた。

・・・・・彼女に関しては、一言では語り尽くせない不思議な体験と過酷な現実がある。
     がしかし、 続きはまた次回に記載します。